Debian 小史 ------------- Debian Documentation Team 2.19 (最終改訂 2013 年 5 月 4 日) ------------------------------------------------------------------------------- 概要 ------ この文書は、Debian プロジェクトの歴史と目標について述べます。 著作権表示 --------------- この文書は、加えた変更点を明確に していれば自由に再配布、改変ができます。 この文書は有料、無料を問わず再配布できますし、改変 (別の種類のメディア、ファイルフォーマットへの変換や別の言語への翻訳も含む) ができますが、原文からの変更点が明確に記されていることが条件です。 次の方によるこの文書への大きな貢献がありました。 * Javier Fernández-Sanguino * Bdale Garbee * Hartmut Koptein * Nils Lohner * Will Lowe * Bill Mitchell * Ian Murdock * Martin Schulze * Craig Small この文書は主に Bdale Garbee が維持しています。 ------------------------------------------------------------------------------- 目次 ------ 1. 序文 -- Debian プロジェクトとは何か? 1.1. 起源 1.2. Debian の発音 2. プロジェクトリーダー 3. Debian リリース 4. 詳細な歴史 4.1. 0.x リリース 4.2. 1.x リリース 4.3. 2.x リリース 4.4. 3.x リリース 4.5. 4.x リリース 4.6. 5.x リリース 4.7. 6.x リリース 4.8. 7.x リリース 4.9. 重要な出来事 4.10. 次は何? A. Debian 宣言 A.1. Debian Linux とは何か? A.2. なぜ Debian を作成するのか? A.3. Debian はこれらの問題に終止符を打 ためにどのように努力するつもりなのか? ------------------------------------------------------------------------------- 1. 序文 -- Debian プロジェクトとは何か? --------------------------------------------------- Debian プロジェクト (http://www.debian.org/)は、フリーソフトウェアだけからなるオペレーティングシステムディストリビューションを作るために努力する、世界規模のボランティアグループです。このプロジェクトの今までの主要な成果物は、Debian GNU/Linux ソフトウェアディストリビューションです。これは Linux オペレーティングシステムカーネルと、何千ものパッケージ化済みのアプリケーションを含みます。程度こそ違うもののさまざまなプロセッサタイプに対応しています。その中には Intel i386 以降、Alpha、ARM、Intel IA-64、Motorola 68k、MIPS、PA-RISC、PowerPC、Sparc (および UltraSparc)、IBM S/390、 Hitachi SuperH が含まれます。 Debian は Software in the Public Interest, Inc., (http://www.spi-inc.org/) (SPI) 設立の動機となりました。SPI はニューヨークを本拠地とする非営利団体です。Debian およびその他の同様の組織が、オープンハードウェアおよびソフトウェアを開発するのを援助するために設立されました。とりわけ SPI は、Debian プロジェクトが米国で税控除可能な寄付を受け取れる仕組みを提供しています。 フリーソフトウェアについての詳細は、Debian 社会契約 (http://www.debian.org/social_contract)と、それに関連する Debian フリーソフトウェアガイドラインや、フリーとは何だろう? (http://www.debian.org/intro/free) のページを参照してください。 1.1. 起源 ----------- Debian プロジェクトは、公式には Ian Murdock さんによって 1993 年 8 月 16 日 (http://groups.google.com/groups?selm=CBusDD.MIK%40unix.portal.com&output=gplain) に創設されました。当時は、Linux の「ディストリビューション」という概念自体が新しいものでした。Ian さんは Debian を開かれた、Linux と GNU の精神に則ったディストリビューションにしようとしました (詳細はこの文書の付録として提供されている Ian さんの宣言を参照してください)。Debian の創設にあたり、FSF の GNU プロジェクトによって 1 年間 (1994 年 11 月から 1995 年 11 月まで) 支援を受けました。 Debian は、注意深くそして良心的にまとめられるように、そして同様の配慮で保守されサポートされるように意図されました。Debian はフリーソフトウェアハッカーの小さく緊密なグループとして始まり、しだいに開発者およびユーザの大規模でよく組織化されたコミュニティへと成長しました。 プロジェクトの開始当初、Debian はすべての開発者およびユーザに自らの作業で貢献する方法が開かれている唯一のディストリビューションでした。現在でも Linux の重要な配布団体としては、唯一営利団体ではありません。Debian はプロジェクトを組織するための憲章、社会契約そしてポリシー文書を持つ唯一の大プロジェクトです。Debian はまた、アップグレード時のシステムの整合性を保証するために、パッケージ間の関係についての詳細な依存情報によって「細かくパッケージ化された」唯一のディストリビューションでもあります。 高品質を達成して維持するために、Debian はソフトウェアをパッケージ化して配布するための広範囲にわたるポリシーと手続き一式を採用しました。これらの基準は、Debian の主要な要素すべてをオープンで目に見える形で実装するツール、自動化、文書によって裏打ちされています。 1.2. Debian の発音 --------------------- Debian の公式の発音は「デビアン (deb ee n)」です。この名前は、Debian の創設者である Ian Murdock さんとその妻である Debra さんに由来します。 ------------------------------------------------------------------------------- 2. プロジェクトリーダー --------------------------------- Debian には 1993 年の創設以来、何人かのリーダーがいました。 Ian Murdock さんは Debian を 1993 年 8 月に創設し、1996 年 3 月まで リーダーを務めました。 Bruce Perens さんは 1996 年 4 月から 1997 年 12 月まで Debian のリーダーを務めました。 Ian Jackson さんは 1998 年 1 月から 1998 年 12 月まで Debian のリーダーを務めました。 Wichert Akkerman さんは 1999 年 1 月から 2001 年 3 月まで Debian のリーダーを務めました。 Ben Collins さんは 2001 年 4 月から 2002 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Bdale Garbee さんは 2002 年 4 月から 2003 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Martin Michlmayr さんは 2003 年 3 月から 2005 年 3 月まで Debian のリーダーを務めました。 Branden Robinson さんは 2005 年 4 月から 2006 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Anthony Towns さんは 2006 年 4 月から 2007 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Sam Hocevar さんは 2007 年 4 月から 2008 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Steve McIntyre さんは 2008 年 4 月から 2010 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Stefano Zacchiroli さんは 2010 年 4 月から 2013 年 4 月まで Debian のリーダーを務めました。 Lucas Nussbaum さんは 2013 年 4 月に選出され、現在のリーダーです。 ------------------------------------------------------------------------------- 3. Debian リリース ---------------------- Debian 0.01 から 0.90 まで (1993 年 8 月 - 12 月) Debian 0.91 (1994 年 1 月): このリリースは、パッケージのインストールおよび削除ができる単純なパッケージシステムを備えていました。Debian プロジェクトは、この時点で数十人規模に成長していました。 Debian 0.93R5 (1995 年 3 月): この時点までに、各パッケージに対する責任が開発者に明確に割り当てられました。そして基本システムのインストール後は、パッケージマネージャ (`dpkg') がパッケージのインストールに使われました。 Debian 0.93R6 (1995 年 11 月): `dselect' が登場しました。a.out バイナリ形式を使う最後の Debian リリースです。約 60 名の開発者がいました。最初の master.debian.org サーバが Bdale Garbee さんによって構築され、0.93R6 リリースと並行して HP によって運用されました。Debian の開発者が各リリースを構築するための特定のマスターサーバを設置することは、Debian のミラーネットワークの編成に直結しました。また今日のプロジェクトを管理するのに使われているポリシーや手続きの多くを開発することにも間接的につながりました。 リリースされなかった Debian 1.0: CD ベンダの InfoMagic 社が、Debian の開発版リリースを前ぶれもなく出荷し、1.0 と称しました。1995 年 12 月 11 日、Debian と InfoMagic 社は共同で当該リリースが誤ったものであると発表し、Bruce Perens さんは次のように説明しました。すなわち "Debian 1.0" として"InfoMagic Linux Developer's Resource 5-CD Set November 1995" に収録されたデータは Debian の 1.0 リリースではなく、部分的に ELF 形式となっているだけの初期開発版であること。そしておそらく起動せず、動作も不安定で、リリースされた Debian システムの品質を表わしてはいないことなどです。未熟なCD 版と実際の Debian リリースとの混乱を避けるため、Debian プロジェクトは次期リリースを "Debian 1.1" と改名しました。CD 上の未熟な Debian 1.0 は不完全であり、使うべきではありません。 1995 年の終わり頃、master.debian.org の運用が HP から i-Connect.Net に移りました。i-Connect.Net の創立者である Michael Neuffer さんと Shimon Shapiro さんが、master を自身のハードウェアで 1 年余りにわたって運用しました。この期間、現在の新規メンテナプロセスに相当する機能を始めとして多数のサービスを Debian に提供していただき、また、初期の Debian ミラーネットワークの発展に多大なご支援をいただきました。 Debian 1.1 _Buzz_ (1996 年 6 月 17 日): コードネームがついた最初の Debian リリースです。これ以降の全リリースと同じく、映画 _Toy Story_ シリーズ中のキャラクターに由来します... この場合は Buzz Lightyear です。この頃には、Bruce Perens さんが Ian Murdock さんからプロジェクトリーダー職を引きついでおり、Bruce さんはこの映画を作った Pixar 社に勤めていました。このリリースは完全に ELF 形式で、Linux カーネル 2.0 を使っており、474 個のパッケージを収録していました。 Debian 1.2 _Rex_ (1996 年 12 月 12 日): 映画 _Toy Story_ に登場するプラスチックの恐竜から名付けられました。120 人の開発者によって保守される 848 個のパッケージから構成されていました。 Debian 1.3 _Bo_ (1997 年 7 月 5 日): 女羊飼いである Bo Peep から名付けられました。200 人の開発者によって保守される 974 個のパッケージから構成されていました。 Debian 2.0 _Hamm_ (1998 年 7 月 24 日): 映画 _Toy Story_ に登場する豚の貯金箱から名付けられました。複数のアーキテクチャに対応した最初の Debian リリースで、Motorola 68000 シリーズアーキテクチャ対応が加わりました。Ian Jackson さんをプロジェクトリーダーとし、libc6 への移行を果たしました。そして 400 人以上の開発者による 1500 個以上のパッケージから構成されていました。 Debian 2.1 _Slink_ (1999 年 3 月 9 日): 映画に登場するこそこそした犬から名付けられました。さらに 2 種類のアーキテクチャが追加されました。Alpha (http://www.debian.org/ports/alpha/) と SPARC (http://www.debian.org/ports/sparc/) です。Wichert Akkerman さんをプロジェクトリーダとし、約 2250 個のパッケージから構成されていました。公式のセットでは CD 2 枚を必要としました。主要な技術革新は、新しいパッケージ管理インターフェイスである apt の導入でした。apt は幅広く真似されましたが、Debian が成長していくことから生じる問題に取り組み、オープンソースオペレーティングシステム上でのパッケージの取得とインストールに新しいパラダイムを確立しました。 Debian 2.2 _Potato_ (2000 年 8 月 15 日): 映画 _Toy Story_ に登場する「Mr Potato Head」から名付けられました。PowerPC (http://www.debian.org/ports/powerpc/) と ARM (http://www.debian.org/ports/arm/) アーキテクチャへの対応が追加されました。Wichert さんが引き続きプロジェクトリーダを務め、450 人以上の Debian 開発者によって保守される 2600 個以上のソースパッケージを元にした、3900 個以上のバイナリパッケージから構成されていました。 Debian 3.0 _Woody_ (2002 年 7 月 19 日): 映画 _Toy Story_ の主人公であるカウボーイの「Woody」から名付けられました。さらに多くのアーキテクチャ対応が追加されており、その内訳は IA-64 (http://www.debian.org/ports/ia64/)、HP PA-RISC (http://www.debian.org/ports/hppa/)、MIPS (ビッグエンディアン) (http://www.debian.org/ports/mips/)、MIPS (リトルエンディアン) (http://www.debian.org/ports/mipsel/)、S/390 (http://www.debian.org/ports/s390/) などです。また、米国内で_緩和された_輸出制限のために暗号化ソフトウェアを収録した最初のリリースであり、今では Qt とのライセンス問題が解決している KDE を最初に収録したリリースでもあります。最近までプロジェクトリーダーを務めた Bdale Garbee さんと 900 人以上の Debian 開発者により、8,500 個以上のパッケージが収録され、公式のセットは 7 枚のバイナリ CD で構成されていました。 Debian 3.1 _Sarge_ (2005 年 6 月 6 日): 緑色をしたプラスチック兵士の軍曹から名付けられました。対応アーキテクチャの新規追加はありませんが、非公式な AMD64 移植版が同時に発表され、新しく生まれたAlioth プロジェクトが運用するサイト (http://alioth.debian.org)を通じて配布されました。新しいインストーラである _debian-installer_ を備えています。これはハードウェアの自動検出や無人インストールといった機能を備えたモジュール式のソフトウェアで、30 ヶ国以上の言語に完全に翻訳されてリリースされました。また、完全なオフィススイートである OpenOffice.org を収録した最初のリリースです。プロジェクトリーダーに Branden Robinson さんが選出された直後でした。900 人以上の Debian 開発者により、およそ 15,400 個以上のパッケージが収録され、公式のセットは 14 枚のバイナリ CD で構成されていました。 Debian 4.0 _Etch_ (2007 年 4 月 8 日): 映画のおもちゃのお絵かきボードから名付けられました。アーキテクチャが 1 つこのリリースで追加されました: AMD64 (http://www.debian.org/ports/amd64/) です。そして、m68k (http://www.debian.org/ports/m68k/) の公式サポートが打ち切られました。引き続き _debian-installer_ を使っていましたが、このリリースではグラフィカルインストーラ、暗号技術によるダウンロード済みパッケージの検証、より柔軟なパーティショニング (暗号化パーティションもサポート)、メール設定の簡略化、より柔軟なデスクトップ選択機能、単純にしつつ改良を加えたローカライゼーション、_レスキュー_モードなどの新モードの追加がありました。以前 2 つあったインストールフェーズがついに統合され、インストール作業中のマシンの再起動が不要になりました。この新インストーラのグラフィカル版では文字結合機能や複雑な言語を使用するスクリプトもサポートしたので、50 を超える言語への翻訳が利用できるようになりました。プロジェクトリーダーに Sam Hocevar さんがちょうどこの日選出され、また、1030 人以上の Debian 開発者がいました。およそ 18,000 個の パッケージが収録され、公式のセットは 20 枚のバイナリ CD (3 枚の DVD) で構成されて いました。さらに、デフォルトのデスクトップ環境とは別のものをインストールできる 2 枚のバイナリ CD が利用できるようになりました。 Debian 5.0 _Lenny_ (2009 年 2 月): 映画 _Toy Story_ のぜんまい仕掛けの双眼鏡から名付けられました。アーキテクチャが 1 つこのリリースで追加されました: ARM EABI (http://wiki.debian.org/ArmEabiPort) (_armel_) で、新しい ARM プロセッサ向けサポートを提供します。そして古い ARM 移植版 (_arm_) は廃止予定となりました。m68k (http://wiki.debian.org/M68k) 移植版はこのリリースに含まれていませんが、まだ_不安定版_ディストリビューションでは提供されていました。FreeBSD 移植版 (http://www.debian.org/ports/kfreebsd-gnu/)は含まれませんでした。この移植版の品質を高める作業のほとんどは終えたものの、このリリースの選定要件 (http://release.debian.org/lenny/arch_qualify.html)をまだ満たしませんでした。このリリースでは、多くのストレージデバイスで使われている Marvell 製 Orion プラットフォームへのサポートを追加しました。また、いくつかのネットブック、特に Asus 製 Eee PC もサポートしました。_Lenny_ は Emdebian 向けビルドツールも収録し、組み込み ARM システム向けに Debian のソースパッケージをクロスビルドし圧縮できるようになりました。また、このリリースはフリーなバージョンの Sun 製 Java テクノロジを提供する最初のリリースで、Java アプリケーションが _main_ セクションで提供できるようになりました。 Debian 6.0 _Squeeze_ (2011 年 2 月): 緑色をした 3 つ目のエイリアンから名付けられました。 このリリースは 2010 年 8 月 6 日、多くの Debian 開発者が第 10 回 Debconf でニューヨーク市に集まっているときにフリーズされました。 2 つのアーキテクチャ (alpha と hppa) が打ち切られましたが、新たな FreeBSD 移植版 (http://www.debian.org/ports/kfreebsd-gnu/) (kfreebsd-i386 と kfreebsd-amd64) アーキテクチャ 2 つが_テクノロジープレビュー_として利用できるようになりました。カーネルとユーザランドのツールや (先進的なデスクトップの機能はまだないものの) 一般的なサーバソフトウェアを収録しています。これは Linux ディストリビューションが Linux ではないカーネルの利用も行えるよう拡張された、初めての例でした。 この新リリースでは依存関係ベースの起動シーケンスを導入し、init スクリプトを並列に処理できるようになり、システムの起動を高速化しました。 Debian 7.0 _Wheezy_ (2013 年 5 月): 赤い蝶ネクタイを締めたゴム製のおもちゃのペンギンから名付けられました。 Debian 8.0 _Jessie_ (リリース日未定): Toy Story 2 で初めて登場したカウガールの人形から名付けられました。 ------------------------------------------------------------------------------- 4. 詳細な歴史 ------------------ 4.1. 0.x リリース --------------------- Debian は、当時 Purdue 大学の学部在校生であった Ian Murdock さんによって 1993 年 8 月に生まれました。Debian は、フリーソフトウェア財団 (http://www.fsf.org/) (Richard Stallman さんによって創られた団体で、一般公衆利用許諾契約書 (GPL) と関係があります) の GNU Project によって 1 年間 -- 1994 年 11 月 から 1995 年 11 月まで -- 援助を受けました。 Debian 0.01 から Debian 0.90 までは 1993 年 8 月から 12 月までの間にリリースされました。Ian Murdock さんは次のように書いています: 「Debian 0.91 は 1994 年 1 月にリリースされました。原始的なパッケージシステムを備えており、ユーザはパッケージを操ることができましたが、それ以外のことはほとんど何もできませんでした (依存関係や、それに類する事はまったく存在していませんでした)。その頃には、Debian の作業をしている人が数十名いましたが、まだ私自身の手でリリースの取りまとめ作業の大半を行なっていました。0.91 は、このようにして行なわれた最後のリリースです。 1994 年の大部分は、他の人たちがより効果的に貢献できるよう Debian プロジェクトを組織するのに、そして `dpkg' (これについては 主に Ian Jackson さんが責任を負っていました) について作業するのに費やされました。私が覚えているかぎり、1994 年には公式なリリースはありませんでしたが、手続きを正しくするための作業中に数回の内部リリースがありました。 Debian 0.93 Release 5 が 1995 年 3 月に生まれました。これは Debian の最初の「現代的な」リリースでした: その頃にはさらに多くの開発者がいて (正確に何人なのか覚えていませんが)、それぞれが自分のパッケージを開発し、基本システムをインストールした後でこれらすべてのパッケージをインストールしたり保守したりするのに `dpkg' が使われていました。 Debian 0.93 Release 6 は 1995 年 11 月に生まれました。これは a.out 形式での最後のリリースでした。0.93R6 では約 60 人の開発者がパッケージを開発していました。私の記憶が正確ならば、`dselect' は 0.93R6 で初めて登場しました」 Ian Murdock さんは、Debian 0.93R6 は「いつでも私の大好きな Debian リリースだった」とも書いていますが、個人的な偏見がある可能性も認めています。なぜなら、Murdock さんは Debian 1.0 の試作中である 1996 年 3 月に、プロジェクトで活動するのをやめているからです。Debian 1.0 は、実際には Debian 1.1 としてリリースされました。これは、CD-ROM 製造者がリリースされていないバージョンを誤って Debian 1.0 と称してしまった後の混乱を避けるためです。この出来事は、ベンダがこの種の誤りを避けるのをプロジェクトが助ける方法としての「公式の」CD-ROM イメージという概念につながりました。 1995 年 8 月 (Debian 0.93 Release 5 と Debian 0.93 Release 6 との間) に、Hartmut Koptein さんが Motorola m68k 系列への Debian の最初の移植を開始しました。Koptein さんは「とても多くのパッケージは i386 中心主義 (リトルエンディアン、-m486、-O6、libc4 専用) で、自分のマシン (Atari Medusa 68040、32 MHz) 上に出発点となるパッケージを揃えるのに苦労しました。3 か月後 (1995 年 11 月) には、入手可能な 250 個のパッケージのうち 200 個をアップロードしましたが、すべて libc5 用でした!」と報告しています。後に Koptein さんは、Vincent Renardias さんや Martin Schulze さんと一緒に PowerPC 系列への移植を始めました。 この頃には、Debian プロジェクトは他のアーキテクチャへの数種の移植版 (http://www.debian.org/ports/)と、新しい (Linux ではない) カーネル、すなわち GNU Hurd マイクロカーネルへの移植版や、少なくとも BSD カーネルの 1 フレーバを含むまでに成長していました。 初期のプロジェクトメンバーである Bill Mitchell さんは、Linux カーネルについて次のように回想しています。 「...Debian が生まれたときは 0.99r8 と 0.99r15 の間でした。長い間、私は 20 Mhz の 386 ベースなマシン上でカーネルを 30 分以内に構築することができました。そして同じ時間で、Debian のインストールを 10MB 未満のディスクスペースに行なうことができました。 ... Ian Murdock さん、私、Ian Jackson さん、苗字を思い出せない別の Ian さん、Dan Quinlan さん、そして名前を思い出せない他の人たちを最初のグループとして覚えています。Matt Welsh さんは最初のグループの一部か、かなり早い段階で参加しました (その後、プロジェクトから離れました)。誰かがメーリングリストを用意し、私たちはうまくやっていました。 思い出せるかぎりでは、私たちは計画を立ててから始めたわけではなく、計画を高度に組織化された形にまとめてから始めたわけでもありませんでした。これははっきり思い出せますが、私たちは開始直後から、パッケージのまったく無作為なコレクションを作るためのソースを集めはじめました。時間がたつにつれ、ディストリビューションの中核をまとめるために必要なものを集めるのに専念するようになりました: カーネル、シェル、update、getty、システムを初期化するのに必要なその他のさまざまなプログラムやサポートファイル、そして中核となるユーティリティ一式です」 4.1.1. 初期の Debian パッケージシステム --------------------------------------------------- プロジェクトのごく初期の段階では、メンバーはソースのみのパッケージを配布することを考えました。各パッケージは上流のソースコードと Debian 化されたパッチファイルから構成され、ユーザはソースを展開し、パッチを当て、自分でバイナリをコンパイルするわけです。しかし、すぐにバイナリ配布のための何らかの仕組みが必要だと気がつきました。Ian Murdock さんによって書かれ、`dpkg' と呼ばれた最初のパッケージ化ツールは、Debian 特有のバイナリ形式でパッケージを作成しました。さらに後で展開して、パッケージ内のファイルをインストールするのにも使えました。 Ian Jackson さんがすぐにパッケージ化ツールの開発を引きつぎ、ツール自体の名前を `dpkg-deb' に変更し、`dpkg-deb' の使用を容易にし今日の Debian システムの _依存_ や _競合_を提供するための `dpkg' と名付けられたフロントエンドプログラムを書きました。これらのツールによって作られたパッケージには、そのパッケージを作るのに使われたツールのバージョンを示すヘッダがあり、`tar' によって作られたアーカイブ (制御情報によってヘッダとは分けられていました) へのオフセットがファイル内にありました。 およそこの頃、プロジェクトメンバー間で論争がおきました -- `dpkg-deb' によって作られた Debian 特有のフォーマットは、`ar' プログラムによって作られる形式に取って代わられるべきではないかと思った人がいました。何度かファイル形式が変更され、それに対応してパッケージ化ツールが変更された後で、`ar' 形式が採用されました。この変更の鍵となる価値は、あらゆる Unix 似なシステム上で、信頼できない実行形式を走らせる必要なしに Debian パッケージを展開できるようになったということです。言いかえれば、'ar' や 'tar' といったすべての Unix システムに備わっている標準的なツールさえあれば、 Debian バイナリパッケージを展開し中身を調べることができるということです。 4.2. 1.x リリース --------------------- Ian Murdock さんが Debian を離れるとき、Murdock さんは Bruce Perens さんを次のプロジェクトリーダーに指名しました。Bruce さんが Debian に最初に興味を抱いたのは、ハム無線オペレータの役に立つ Linux ソフトウェアをすべて含む「Linux for Hams」という名の Linuxディストリビューション CD を作ろうとしていたときでした。自分のプロジェクトに対応させるには、Debian の中核システムにはもっと作業が必要なことが判り、Bruce さんは自分のハム無線ディストリビューションを延期して、(Ian Murdock さんとともに) 最初の Debian インストールスクリプト一式 (これはこの後数回のリリースで Debian インストールツールセットの中核を構成することになる Debian レスキューフロッピーになりました) を組織化することを含む、基本的な Linux システムと関連するインストールツールの作業にのめりこむようになりました。 Ian Murdock さんは次のように述べています: 「Bruce さんは私の後継者として自然な選択でした。なぜなら彼は 1 年近くもの間基本システムを開発していて、私が Debian に提供できる時間が急速に減っていくにつれて弛んだ部分を拾いあげていったからです」 Bruce さんは Debian フリーソフトウェアガイドラインと Debian 社会契約を作るための労力をまとめること、またオープンハードウェアプロジェクトの創設を含むプロジェクトの重要な側面を始めました。Bruce さんがプロジェクトリーダーを務める間に、Debian は市場シェアと、まじめで、優れた技術を持つ Linux ユーザのためのプラットフォームとしての名声を獲得しました。 Bruce Perens さんはまた、Software in the Public Interest, Inc. (http://www.spi-inc.org/) を設立する努力の先頭にも立ちました。もともとは Debian プロジェクトに寄付を受けいれることができる法人格を提供することが狙いでしたが、その目的は Debian プロジェクト以外のフリーソフトウェアプロジェクトを支援することも含むように、まもなく拡大されました。 この頃、次の Debian バージョンがリリースされました: * 1.1 _Buzz_ 1996 年 6 月リリース (474 個のパッケージ、2.0 カーネル、ELF 形式のみ、`dpkg') * 1.2 _Rex_ 1996 年 12 月リリース (848 個のパッケージ、120 人の開発者) * 1.3 _Bo_ 1997 年 7 月リリース (974 個のパッケージ、200 人の開発者) 1.3 には中間の「ポイント」リリースが何回か行なわれました。その最後は 1.3.1R6 です。 Bruce Perens さんは 2.0 リリースを準備する過程の大部分でプロジェクトを率いた後、1998 年 1 月初めに Debian プロジェクトリーダーの職を Ian Jackson さんに引きつぎました。 4.3. 2.x リリース --------------------- Ian Jackson さんは、1998 年初めに Debian プロジェクトのリーダーに就任しました。その直後、Software in the Public Interest の取締役会に副社長として迎えられました。財務担当 (Tim Sailer)、社長 (Bruce Perens) そして書記官 (Ian Murdock) が辞任した後、Jackson さんは社長になり、3 人の新メンバーが選ばれました: Martin Schulze (副社長)、Dale Scheetz (書記官)、そして Nils Lohner (財務担当) です。 Debian 2.0 (_Hamm_) は、1998 年 7 月に Intel i386 および Motorola 68000 系列アーキテクチャ向けにリリースされました。このリリースは、システム C ライブラリの新バージョン (glibc2、歴史的な理由から libc6 とも呼ばれています) への移行を果たしました。リリース時点では、400 人以上の Debian 開発者によって保守される 1500 個以上のパッケージがありました。 1999 年 1 月、Wichert Akkerman さんが Ian Jackson さんから Debian プロジェクトリーダー職を引き継ぎました。Debian 2.1 (http://www.debian.org/releases/slink/) は最終段階でいくつかの問題が起きたため、1 週間遅れで 1999 年 3 月 9 日にリリースされました (http://www.debian.org/News/1999/19990309)。 Debian 2.1 (_Slink_) は 2 種類の新しいアーキテクチャに公式対応していました: Alpha (http://www.debian.org/ports/alpha/) と Sparc (http://www.debian.org/ports/sparc/) です。 Debian 2.1 に収録された X-Window パッケージは以前のリリースから大きく再編され、また 2.1 は次世代の Debian パッケージ管理インターフェイスである `apt' も収録していました。さらに、この Debian リリースは「公式 Debian CD セット」に 2 枚の CD-ROM が必要となる初めての Debian リリースでした; 約 2250 個のパッケージが収録されていました。 1999 年 4 月 21 日、Corel が Debian および KDE グループによって作られたデスクトップ環境を元にした Linux ディストリビューションをリリースする計画だと発表した時、Corel Corporation (http://www.corel.com/) と K デスクトッププロジェクト (http://www.kde.org/)が Debian と事実上の同盟を結成しました。その春と夏の間、また別の Debian ベースのディストリビューションである Storm Linux が出現し、Debian プロジェクトは CD-ROM や公式プロジェクトウェブサイトといった Debian 公認の物品で使うための公式バージョンと、Debian に言及するか由来する物品で使うための非公式ロゴからなる新しいロゴ (http://www.debian.org/logos/)を採択しました。 新しい、独特な Debian 移植版が始まったのもこの頃です。すなわち Hurd (http://www.debian.org/ports/hurd/) への移植版です。これは Linux 以外のカーネルを使う初めての移植版で、代わりに GNU Mach マイクロカーネルの一種である GNU Hurd (http://www.gnu.org/software/hurd/hurd.html) を使っています。 Debian 2.2 (_Potato_) は、2000 年 8 月 15 日に Intel i386、Motorola 68000 シリーズ、alpha, SUN Sparc, PowerPC そして ARM アーキテクチャ向けにリリースされました。これは PowerPC と ARM への移植版を含む初めてのリリースでした。このリリース時点では、450 人以上の Debian 開発者によって保守される 3900 個以上のバイナリパッケージと、2600 個以上のソースパッケージがありました。 Debian 2.2 について興味深い事実は、フリーソフトウェアが、あらゆる困難にも かかわらず、現代的なオペレーティングシステムを生み出せることを示したことです。このことは、関心を抱いたグループによる Counting potatoes (http://pascal.case.unibz.it/retrieve/3246/counting-potatoes.html) という記事の中で詳細に研究されました[1]。同記事より引用します: _「[...] 我々は David A. Wheeler 作の sloccount システムを使い、Debian 2.2 (別名 potato) の有意なコードのソース行数 (SLOC) を測定した。Debian 2.2 には、(約 8 ヶ月後にリリースされた Red Hat 7.1 のほぼ倍にあたる) 55,000,000 行以上の有意な SLOC があり、(世界中に散らばっているボランティアの開発者からなる巨大なグループの作業を元にした) Debian の開発モデルは、少なくとも他の開発手法に匹敵はすることが示されている [...] また、もし Debian が伝統的なプロプライエタリな手法を使って開発されていたなら、COCOMO モデルで見積った Debian 2.2 の開発コストは 19 億米ドル近くにもなるであろうことも示されている。さらに我々は、Debian 2.2 で使われたプログラミング言語 (C が約 70%、C++ が約 10%、Lisp とシェルがおおよそ 5%、その他大勢があとに続く) と、大規模なパッケージ (Mozilla、 Linux カーネル、PM3、XFree86、その他) に関する分析も提供する」_ [1] この Potato の生の統計データ (http://libresoft.es/debian-counting/potato/index.php?menu=Statistics)は、その後のリリースを分析した論文も含め Debian counting のサイト (http://libresoft.es/debian-counting/)でも入手できます。 4.4. 3.x リリース --------------------- woody がリリースの準備に取りかかれるようになる前に、ftp-master 上のアーカイブシステムに変更が加えられなければなりませんでした。woody のリリースを準備するために初めて使われる新しい "テスト版" ディストリビューションといった、特別な目的のディストリビューションを可能にするパッケージプールが、2000 年 12 月半ばにftp-master 上で稼働を始めました (http://lists.debian.org/debian-devel-announce-0012/msg00004.html)。パッケージプールは既存パッケージの異なるバージョンを集めたものにすぎず、複数のディストリビューション (現在のところ experimental、不安定版、テスト版、安定版) はそこからパッケージを取得することができ、各々の Packages ファイルに収録されます。 同時に_テスト版_という新ディストリビューションが導入されました。主に、不安定版の中で安定していると思われるパッケージが (数週間後に) テスト版に移されます。テスト版導入の目的は、フリーズ期間の短縮と、プロジェクトがいつでも新リリースの準備を行なえるようにすることです。 この期間に、Debian のモディファイ版を出荷していた企業のいくつかが、消えてなくなりました。Corel は 2001 年の第 1 四半期に 同社の Linux 部門を売却し、Stormix は 2001 年 1 月 17 日に破産を宣告し、Progeny は 2001 年 10 月 1 日に同社製ディストリビューションの開発を停止しました。 次期リリースへ向けたフリーズは、2001 年 6 月 1 日に始まりました。しかしながら、プロジェクトが次期リリースを完成させるまでには、それから 1 年強の時間を要したのです。その理由は起動フロッピーの問題 (http://lists.debian.org/debian-devel-announce-0104/msg00004.html)や、main アーカイブへの暗号化ソフトウェアの導入、プロジェクトの根底にあるアーキテクチャの変更 (incoming アーカイブとセキュリティアーキテクチャ) などでした。しかしこの期間に、安定版リリース (Debian 2.2) は 7 度も改訂され、Ben Collins さん (2001 年) と Bdale Garbee さんという 2 人のプロジェクトリーダーが選出されました。さらに、パッケージ化以外にも Debian 関連の多くの作業は成長を続けました。その中には国際化も含まれており、(1000 以上のページがある) Debian のウェブサイトは 20 ヶ国以上の言語に翻訳され、次期リリース版のインストールでは 23 ヶ国語に対応していました。Debian Junior (子供向け) と Debian Med (医学の学習研究用) という 2 つの内部プロジェクトも woody のリリース準備期間中に始まり、Debian をその種の業務に適したものとするための異なる焦点をプロジェクトにもたらしました。 Debian 関連の作業も、開発者が Debconf (http://www.debconf.org) と呼んでいる年に 1 度の会議を企画する妨げにはなりませんでした。最初の会議は、7 月 2 日から 5 日にかけてボルドー (フランス) で Libre Software Meeting (LSM) と共催で行なわれ、約 40 名の Debian 開発者が集まりました。2 回目のカンファレンスは 2002 年 7 月 5 日にトロント (カナダ) で開催され、80 人以上の参加者を集めました。 Debian 3.0 (_woody_) は 2002 年 7 月 19 日にリリースされ、Intel i386、Motorola 68000 系列、 alpha、SUN Sparc、PowerPC、ARM、HP PA-RISC、IA-64、MIPS、MIPS (DEC)、IBM s/390 といったアーキテクチャに対応していました。HP PA-RISC、IA-64、MIPS、MIPS (DEC)、IBM s/390 などの移植版が収録された初めてのリリースです。このリリース時点では、900 人以上の Debian 開発者によって保守される約 8500 個のバイナリパッケージがあり、CD-ROM に加えて初めて DVD メディアでも入手できるようになりました。 次期リリースを前に、年に 1 度の会議である _Debconf_ が引き続き行われました。第 4 回は 2003 年 7 月 18 日から 20 日にかけてオスロで開催され、120 名以上の参加者が集まりました。またそれに先立ち、7 月 12 日から 17 日にかけて _Debcamp_ も開催されました。第 5 回のカンファレンスは 2004 年 5 月 26 日から 6 月 2 日にかけてブラジルのポルト・アレグレで開催され、26 ヶ国から 160 名以上の参加者を集めました。 Debian 3.1 (_sarge_) は、2005 年 6 月 6 日にリリースされ、対応アーキテクチャは _woody_ と同じでしたが、非公式な AMD64 移植版が同時にリリースされました。この AMD 64 移植版は、http://alioth.debian.org から利用できるディストリビューション向けプロジェクト運営インフラストラクチャを使用しています。1500 人以上の Debian 開発者によって保守される約 15,000 個のバイナリパッケージがありました。 _sarge_ のリリースでは多くの大規模な変更がなされましたが、大半は同ディストリビューションのフリーズとリリースに要した長きにわたる時間によるものです。_sarge_ では、従来バージョンにもあったソフトウェアの 73% 以上が更新されただけでなく、9000 個もの大量の新規パッケージが収録され、サイズ的には従来リリースの倍近くになりました。新規パッケージには、OpenOffice スイート、Firefox ウェブブラウザ、Thunderbird 電子メールクライアントなどが含まれます。 _sarge_ には Linux カーネルの 2.4 および 2.6 系列、XFree86 4.3、KDE 3.3 が収録されており、まったく一新されたインストーラを備えていました。この新インストーラは旧式な起動フロッピー式インストーラを置き換えるものです。モジュール式の設計で、ハードウェアの自動認識を含むより進化したインストール (RAID、XFS、LVM にも対応) を提供し、全アーキテクチャにおいて初心者ユーザでもインストールを容易に行なえます。また、パッケージ管理用に選ばれるツールは `aptitude' に切り替わりました。ソフトウェアがほぼ 40 ヶ国語に翻訳されたように、インストールシステムも完全な国際化対応を誇っています。インストールマニュアルやリリースノートといった周辺文書もリリースと同時に入手可能となり、それぞれ 10 から 15 ヶ国の言葉に翻訳されたものが用意されています。 _sarge_ には、Debian-Edu/Skolelinux や Debian-Med、Debian-Accessibility といったサブプロジェクトによる成果も取り込まれています。これらのサブプロジェクトにより、教育用パッケージや医療団体用パッケージ、それに障碍のある人向けに特別に設計されたパッケージの数は増加の一途をたどっています。 第 6 回の _Debconf_ は、2005 年 7 月 10 日から 17 日にかけてフィンランドのエスポーで開催され、300 人を超える参加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://ftp.acc.umu.se/pub/debian-meetings/2005/debconf5/)がオンラインで入手できます。 第 7 回の _Debconf_ は、2006 年 5 月 14 日から 22 日にかけてメキシコのオアステペックで開催され、約 200 (https://gallery.debconf.org/aigars/dc6_group_photo_big) 人の参加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://meetings-archive.debian.net/pub/debian-meetings/2006/debconf6/)や写真 (https://gallery.debconf.org/debconf6)がオンラインで入手できます。 4.5. 4.x リリース --------------------- Debian 4.0 (_etch_) は、2007 年 4 月 8 日にリリースされ (http://www.debian.org/News/2007/20070408)、対応アーキテクチャの数は _sarge_ から変わりませんでした。AMD64 移植版を取り込みましたが、m68k のサポートを打ち切りました。ただ、この m68k 移植版は、_不安定版_ディストリビューションでまだ利用できるようになっていました。1030 人以上の Debian 開発者によって保守される約 18,200 個のバイナリパッケージがありました。 4.6. 5.x リリース --------------------- Debian 5.0 (_lenny_) は、2009 年 2 月 14 日にリリースされ (http://www.debian.org/News/2009/20090214)、対応アーキテクチャの数は前のリリース _etch_ から 1 つ増えました。新しい ARM プロセッサ向け移植版を取り込みました。前回のリリースと同様、m68k アーキテクチャは_不安定版_ディストリビューションでまだ利用できるようになっていました。1010 人以上の Debian 開発者によって保守される (12,000 個以上のソースパッケージから構築された) 約 23,000 個のバイナリパッケージがありました。 第 8 回の _Debconf_ は、2007 年 6 月 17 日から 23 日にかけてスコットランドのエジンバラで開催され、400 人を超える参加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://ftp.acc.umu.se/pub/debian-meetings/2007/debconf7/)や写真 (https://gallery.debconf.org/debconf7)がオンラインで入手できます。 第 9 回の _Debconf_ は、2008 年 8 月 10 日から 16 日にかけてアルゼンチンのマルデルプラタで開催され、200 (https://gallery.debconf.org/v/debconf8/karora/OfficialPhoto.jpg.html) 人を超える参加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://ftp.acc.umu.se/pub/debian-meetings/2008/debconf8/)や写真 (https://gallery.debconf.org/v/debconf8/)がオンラインで入手できます。 第 10 回の _Debconf_ は、2009 年 7 月 23 日から 30 日にかけてスペインのカセレスで開催され、200 (http://wiki.debconf.org/wiki/DebConf9/Pictures/GroupPhoto) 人を超える参加者を集めました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://ftp.acc.umu.se/pub/debian-meetings/2009/debconf9/)や写真 (https://gallery.debconf.org/v/debconf9/)がオンラインで入手できます。 第 11 回の _Debconf_ は、2010 年 8 月 1 日から 7 日にかけてアメリカ合衆国のニューヨーク市で開催されました。それに先立ち、7 月 25 日から 31 日にかけて Debcamp も開催されました。Debian 開発者、メンテナ、ユーザを含む 200 人 (http://wiki.debconf.org/wiki/DebConf10/GroupPhoto)を超える参加者がコロンビア大学キャンパスに集い、カンファレンスに参加しました。このカンファレンスの模様を映したビデオ (http://ftp.acc.umu.se/pub/debian-meetings/2010/debconf10/)や写真 (https://gallery.debconf.org/v/debconf10/)がオンラインで入手できます。 4.7. 6.x リリース --------------------- Debian 6.0 (_squeeze_) は、2011 年 2 月 6 日にリリースされました。 2009 年 7 月 29 日に Debian は時間ベースのリリースを採用する (http://www.debian.org/News/2009/20090729)ことを決定し、その後の新リリースは偶数年の前半のある時点に行われることにしました。Squeeze は 2 年ごとという新しい時間計画に移るための一度きりの例外ということになっていました。 この方針が採用されたのは、Debian ディストリビューションのユーザによりよいリリース予測可能性を提供するため、また、Debian 開発者がよりよい長期計画を立てられるようにするためでした。2 年ごとのリリースサイクルならば破壊的な変更にもっと多くの時間を充てられるので、ユーザに不便を強いることを減らすことになります。フリーズが予測できることで、全体としてのフリーズ期間の短縮にもつながることが期待されていました。 しかし、このリリースは 2009 年 12 月にフリーズされる予定だったにもかかわらず、そのフリーズの発表 (http://www.debian.org/News/2010/20100806)があったのは 2010 年 8 月でした。これは年一度で 10 回目の Debconf 会議がニューヨークで開かれているとき行われ、お祝いになりました。 次の新機能があります: * Linux カーネル 2.6.32: ついに完全にフリーになり、問題のあるファームウェアファイルが削除されました。 * libc: eglibc 2.11 * GNOME 2.30.0、一部 2.32 * KDE 4.4.5 * X.org 7.5 * Xfce 4.6 * OpenOffice.org 3.2.1 * Apache 2.2.16 * PHP 5.3.3 * MySQL 5.1.49 * PostgreSQL 8.4.6 * Samba 3.5.6 * GCC 4.4 * Perl 5.10 * Python 2.6 および 3.1 * 約 15,000 個のソースパッケージから構築された 29,000 個を超えるバイナリパッケージのうち、10,000 個が新規パッケージ。 * DKMS: Linux カーネルのソースツリーには含まれないソースの Linux カーネルモジュールを生成するフレームワーク。 * insserv を使った依存関係ベースの init スクリプトの並び替えにより、並列に実行してシステムの起動にかかる時間を短縮しました。 * 2 つの新たな移植版、kfreebsd-i386 および kfreebsd-amd64。 多くのパッケージが quilt をベースにした新ソースパッケージフォーマットを利用しはじめました。この新フォーマット (http://wiki.debian.org/Projects/DebSrc3.0)は非ネイティブなパッケージでは "3.0 (quilt)" という名前のもので、配布されているソースコードと Debian のパッチを分離します。ネイティブなパッケージ用にも新フォーマット "3.0 (native)" が導入されました。これらのフォーマットには、上流の複数の tarball のサポート、bzip2 や lzma で圧縮された tarball のサポート、バイナリファイルを同梱できる、といった新機能があります。 12 回目の _Debconf_ がボスニア・ヘルツェゴビナ、スルプスカ共和国のバニャルーカで 2011 年 7 月 24 日から 30 日まで、先だって 7 月 17 日から 23 日まで行われた Debcamp と合わせて開催されました。 13 回目の _Debconf_ がニカラグアのマナグアで 2012 年 7 月 8 日から 14 日まで、先だって 7 月 1 日から 6 日まで行われた Debcamp、7 月 7 日に行われた Debian Day と合わせて開催されました。 4.8. 7.x リリース --------------------- Debian 7.0 (_wheezy_) は、2013 年 5 月 4 日にリリースされました。この新しいバージョンの Debian では、multiarch のサポート (http://www.debian.org/News/2011/20110726b)やプライベートクラウドの展開に特化したツール群 (http://www.debian.org/News/2012/20120425)、改善したインストーラ、サードパーティリポジトリをもはや不要とするマルチメディア用コーデックやフロントエンド一式等、様々な興味深い機能が収録されています。 2011 年 7 月に行われた Debian カンファレンス DebConf11 の期間中、「multiarch のサポート」が紹介されました。この機能はこのリリースの目標でした。Multiarch は全く同一のシステムに異なるハードウェアアーキテクチャのプログラムやライブラリを同時に簡単にインストールできるようにするもので、ライブラリやヘッダのパスについての観点からファイルシステムの構造を根本的に考え直すことになりました。これによってユーザは同一マシンに複数のアーキテクチャからパッケージをインストールできるようになります。これは様々な面で便利なことですが、最も一般的なのは 64 ビットと 32 ビットのソフトウェアを同一マシンにインストールすることで、その依存関係は自動的に正しく解決されます。この機能は Multiarch マニュアル (http://wiki.debian.org/Multiarch/HOWTO)で詳しく説明されています。 インストールプロセスは大きく改善しました。ソフトウェアによる音声案内を利用することで、特に点字デバイスを使わない視力障害者がインストールすることができるようになっています。莫大な数の翻訳者の協力のおかげで、インストールシステムは 73 の言語で利用可能となり、音声合成を利用可能な言語も多数あります。さらに、Debian は新しい 64 ビット PC 向けに、UEFI を使用したインストールやブートを初めてサポートしています。ただし、_セキュアブート_のサポートはまだありません。 他の新機能や更新されたソフトウェアパッケージ: * Linux カーネル 3.2 * kFreeBSD カーネル、8.3 と 9.0 * libc: eglibc 2.13 * GNOME 3.4 デスクトップ環境 * KDE Plasma Workspaces および KDE Applications 4.8.4 * Xfce 4.8 デスクトップ環境 * X.org 7.7 * LibreOffice 3.5.4 (OpenOffice を置き換え) * Xen Hypervisor 4.1.4 * Apache 2.2.22 * Tomcat、6.0.35 と 7.0.28 * PHP 5.4 * MySQL 5.5.30 * PostgreSQL 9.1 * Samba 3.6.6 * GCC 4.7、PC 向け (他は 4.6) * Perl 5.14 * Python 2.7 * 約 12,800 個のソースパッケージから構築された 37,400 個を超えるバイナリパッケージのうち、17,500 個が新規パッケージ。 このリリースで導入された新機能に関する情報については、_Wheezy_ リリースノート (http://www.debian.org/releases/wheezy/releasenotes)の _Debian 7.0 の新機能_の章を見てください。 4.9. 重要な出来事 ----------------------- 4.9.1. 2000 年 7 月: Joel Klecker さん逝去 ------------------------------------------------ 2000 年 7 月 11 日、Espy のニックネームで知られていた Joel Klecker さんが 21 歳でこの世を去りました。#mklinux、Debian のメーリングリストや IRC チャンネルで 'Espy' と交流のあった人々で、このニックネームの影には デュシェンヌ型筋ジストロフィー (http://mdausa.org/disease/dmd.html)という病に苦しむ若者がいるのを知っていた者はいませんでした。ほとんどの人々は Joel さんのことを「Debian の glibc と powerpc 野郎」としてのみ知っており、Joel さんが闘っていた困難に想いがおよぶ者はいませんでした。肉体的には病んでいましたが、Joel さんはその偉大なる精神を他の人と共有していました。 Joel Klecker (別名 Espy) さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.2. 2000 年 10 月: パッケージプールの実装 --------------------------------------------------------- James Troup さんは、アーカイブ保守ツールの再実装を行ない、パッケージプールに移行したと報告しました (http://lists.debian.org/debian-devel-announce-0010/msg00007.html)。この日より、ファイルは `pools' ディレクトリ内のソースパッケージに対応した名前のディレクトリに保存されるようになりました。ディストリビューションのディレクトリには、プールへの参照が含まれた Packages ファイルだけが収められています。これにより、テスト版や不安定版といったディストリビューション間での重複が単純化されました。このアーカイブは PostgreSQL を使ったデータベース駆動型でもあり、ロックアップも高速化されています。 この Debian のアーカイブ管理方法の考え方は、1998 年 5 月に Bdale Garbee さんによりこのメール (http://lists.debian.org/debian-devel/1998/05/msg01607.html)でパッケージのキャッシュが初めて debian-devel メーリングリストに紹介されたときと同じようなものです。 4.9.3. 2001 年 3 月: Christopher Rutter さん逝去 ------------------------------------------------------ 2001 年 3 月 1 日、Christopher Matthew Rutter (別名 cmr) さんが、交通事故により 19 歳で命を落としました。Christopher さんは Debian プロジェクトの若く有名なメンバーで、ARM 移植版を手伝っていました。buildd.debian.org のサイトをもって追悼を捧げます。 Chris Rutter さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.4. 2001 年 3 月: Fabrizio Polacco さん逝去 ---------------------------------------------------- 2001 年 3 月 28 日、Fabrizio Polacco さんが長い闘病生活の末、この世を去りました。Debian プロジェクトは、Fabrizio さんによる Debian とフリーソフトウェアでの優れた作業と多大な献身に敬意を表します。Fabrizio さんの貢献は忘れられることなく、他の開発者が Fabrizio さんの業績を引き継ぐべく前進するでしょう。 Fabrizio Polacco さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.5. 2002 年 7 月: Martin Butterweck さん逝去 ----------------------------------------------------- 2002 年 7 月 21 日、Martin Butterweck (別名 blendi) さんが、白血病と闘った末、亡くなりました。Martin さんは Debian プロジェクトの若いメンバーで、プロジェクトに加わったばかりでした。 Martin Butterweck さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.6. 2002 年 11 月: Debian サーバ焼失 ---------------------------------------------- 2002 年 11 月 20 日の 08:00 CET (中央ヨーロッパ時間) 頃、オランダにあるトゥエンテ大学のネットワークオペレーションセンターで火災が発生しました。建物は全焼しました。消防署はサーバエリアを救う望みを諦めました。とりわけ NOC では satie.debian.org が運用されており、そこにはセキュリティおよび non-US アーカイブと、新規メンテナ (nm) および品質保証 (qa) データベースが含まれていました。Debian はこれらのサービスを klecker という名のホストで再構築しましたが、最近になって klecker はアメリカからオランダに移されました。 4.9.7. 2004 年 5 月: Manuel Estrada Sainz さん、Andrés García Solier さん逝去 ---------------------------------------------------------------------------- 5 月 9 日、Manuel Estrada Sainz (ranty) さんと Andrés García Solier (ErConde) さんが、スペインのバレンシアで開催されたフリーソフトウェアカンファレンスからの帰途、痛ましい交通事故で命を落としました。 Manuel Estrada Sainz さんと Andrés García Solier さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.8. 2005 年 7 月: Jens Schmalzing さん逝去 --------------------------------------------------- 7 月 30 日、Jens Schmalzing (jensen) さんがドイツのミュンヘンにある職場で発生した痛ましい事故により亡くなりました。Jens さんは Debian に参加して各種パッケージのメンテナ、PowerPC 移植版のサポーター、カーネルチームのメンバーとして活躍し、PowerPC カーネルパッケージをバージョン 2.6 に上げる手助けをしました。また、Mac-on-Linux やそのカーネルモジュールのメンテナでもあり、インストーラや地元のミュンヘンでの活動を援助したりもしました。 Jens Schmalzing さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.9. 2008 年 12 月: Thiemo Seufer さん逝去 -------------------------------------------------- 12 月 26 日、Thiemo Seufer (ths) さんが交通事故で亡くなりました。Thiemo さんは MIPS と MIPSEL 移植版の代表メンテナで、Debian 開発者 (http://lists.debian.org/debian-newmaint/2004/06/msg00021.html)になる 2004 年よりもかなり昔から長い間 debian-installer にも貢献しました。QEMU チームのメンバーとして Thiemo さんは MIPS エミュレーションレイヤーのほとんどを書きました。 Thiemo Seufer さんに心より哀悼の意を表します。 4.9.10. 2010 年 8 月: Frans Pop さん逝去 ---------------------------------------------- Frans Pop (fjp) さんが 8 月 20 日に亡くなりました。Frans さんは Debian に参加し、いくつかのパッケージのメンテナや S/390 移植版の支援を行い、そして Debian Installer チームに最も関わったメンバーの 1 人でした。Debian メーリングリストの管理者で、インストールガイドとリリースノートの編集者兼リリースマネージャであり、オランダ語の翻訳者でもありました。 Frans Pop さんに心より哀悼の意を表します。 4.10. 次は何? ---------------- Debian プロジェクトは、_不安定版_ディストリビューション (コードネーム _sid_。映画 _Toy Story 1_ より隣家に住む凶悪で「情緒不安定」な少年から名付けられました。こんな子は、絶対に世の中に出すべきではありません) で作業を続けています。Sid は永久に不安定版のコードネームであり、常に「開発中 (Still In Development)」です。ほとんどの新規および更新されたパッケージは、このディストリビューションにアップロードされます。 _テスト版_リリースは次期安定版リリースとなることを目指しており、現在のコードネームは _jessie_ です。 ------------------------------------------------------------------------------- A. Debian 宣言 ---------------- イアン・マードック著、1994 年 1 月 6 日改定 A.1. Debian Linux とは何か? ------------------------------- Debian Linux はまったく新しい Linux ディストリビューションです。今までに開発された他の Linux ディストリビューションのように限定的な個人やグループが開発しているものではなく、Linux と GNU の精神に則り、オープンに開発されています。Debian は、最終的に Linux の名に恥じないディストリビューションを作り出すことを第一の目的としています。Debian は注意深く、また良心的にディストリビューションをまとめており、同様の配慮で保守・サポートしていく予定です。 Debian は、市場で十分な競争力を持ちえる、商用ではないディストリビューションを作り出す試みでもあります。ゆくゆくは Free Software Foundation が CD-ROM で Debian を配布するようになるでしょう。また Debian Linux Association は、印刷されたマニュアルや技術支援などエンドユーザに必要なものと一緒に、フロッピーディスクやテープによる配布を提供することになるでしょう。上記のすべてが原価よりもわずかに高い金額で入手できるようになり、そのわずかな原価超過分を使って、すべてのユーザのためのフリーソフトウェアをさらに開発していくことになるでしょう。このようなディストリビューションは、市場で Linux オペレーティングシステムが成功するのに欠かせません。また、十分に先進的な位置にあり、利益や配当の圧力を受けることなくフリーソフトウェアを広めようとしている組織によってなされなければなりません。 A.2. なぜ Debian を作成するのか? ----------------------------------------- Linux の未来にとってディストリビューションは不可欠です。ディストリビューションを利用すると、ユーザはうまく稼動する Linux システムを組みあげるために必要な、大変な数のツールを探し出してダウンロード、コンパイル、インストールしてシステムとしてまとめあげる作業をせずに済むようになります。代わりに、システムを構築する重荷はディストリビューション作成者が背負います。ディストリビューション作成者がした作業は、何千もの他のユーザと分かちあうことができます。大抵の Linux ユーザは、ディストリビューションを通して Linux なるものの最初の感触を得るものです。また、多くのユーザが、このオペレーティングシステムに慣れてからも、便利さを求めてディストリビューションを使いつづけるでしょう。つまり、ディストリビューションは本当に大変重要な役割を担っているのです。 ディストリビューションが明らかに重要であるにもかかわらず、開発者達はほとんど注意を払わずにいます。単純な理由によります。ディストリビューションの構築は易しくもないし、魅力的でもないからです。また、ディストリビューションのバグをとり、最新の状態に保つために、作成者は継続的に大変な努力を強いられるからです。0 からシステムを組みあげるのとは全く別物です。つまり、システムが他人にとってインストールしやすく、多様なハードウェア構成にもインストールして使用でき、使いでがあると人を唸らせるソフトウェアを含み、構成要素そのものが改善されたときにアップデートできることを保証するということなのです。 多くのディストリビューションがかなりよいシステムとして発表されました。しかし、時が経つにつれて、ディストリビューションの保守から次第に関心を失い、二の次になってしまいます。そのよい例が、Softlanding Linux System (SLS の略称で有名) でしょう。恐らくもっともバグが多く、保守もほとんどなされなかったディストリビューションです。残念ながらこのディストリビューションは、恐らくもっとも多くの人に使われた物でもありました。まぎれもなく、これは多くの配布業者からいちばん注目されてしまったディストリビューションだったのです。これらの業者は、このオペレーティングシステムが世に広まって行くのに便乗していることを露呈してしまいました。 これはまったくひどい組み合せです。この手の配布業者から Linux を得る多くの人が、バグが含まれている上に保守もされない Linux ディストリビューションを受け取ってしまうのですから。これだけでは悪行し足りないかのように、こういった配布業者には、自分達の製品の中の動かなかったり極めて動作が不安定な機能について誤解を与えかねない宣伝をすると言う困った傾向がありました。このような状況と、購入した人はその製品が宣伝に違わぬできだろうともちろん予想することと、多くの人がその製品が商用のオペレーティングシステムだと信じている (Linux がフリーであることや、GNU 一般公衆利用許諾に従って配布されていることに言及しない傾向もありました) かもしれないことを考えあわせてみてください。なおその上に、これら配布業者は、より多くの雑誌で派手に広告を出してもかまわないだけの金を努力して実際に稼ぎ出しています。単にあまりよくわかっていないだけの者が、容認できない行動を助長してしまうという古くから見られる事例が見てとれます。あきらかに、この状況を改善するために何か手を打つ必要があります。 A.3. Debian はこれらの問題に終止符を打つためにど ように努力するつもりなのか? ---------------------------------------------------------------------------- Debian の設計過程は、オープンです。システムが最高の品質を持つことと、ユーザの共同体の要求を反映させることを保証するためです。能力と背景に広がりがある他人を巻きこむことで、モジュール化して Debian を開発することが可能になりました。ある分野の専門的知識を持つ者が、その分野を含んでいる Debian の個々の構成要素を開発したり保守したりする機会が与えられるので、その構成要素の品質は高くなります。他人を巻きこんだことで、改良のための価値ある助言が開発を通してディストリビューションに含まれて行くことも保証されます。そのため、どちらかというと作成者の要求や欲求よりもユーザの要求や欲求を元にディストリビューションは作成されます。一人の個人や小グループでは、直接他人から情報を得なければ、このような要求や欲求を前もって組み入れることはかなり難しいものです。 Free Software Foundation と Debian Linux Association は物理媒体でも Linux を配布する予定です。これによりインターネットや FTP を使わなくてもユーザに Debian を提供できます。また、システムのすべての利用者が印刷された手引き書や技術支援などの製品やサービスを広く入手できるようにすることもできます。このやりかたなら、Debian はたくさんの個人や組織で使用されるでしょう。収益や配当を得ることではなく、一級の製品を供給することに焦点をあてています。そして、製品やサービスから生じた利潤は、対価を支払ってソフトウェアを得たかどうかにかかわりなく、すべての利用者のためにソフトウェア自体を改良するために使われるでしょう。 Free Software Foundation は Debian の将来にとって大変重要な役割を果たします。Free Software Foundation が Debian を配布するという単純な事実によっても、Linux が商用の製品ではなく、今後も決してそうはならないこと、しかし Linux が商業的な競争に決して勝てはしないとは意味しないことを世に知らしめることになります。同意しない人は、GNU Emacs と GCC が成功していることを理由付けしていただきたい。これらは商用の製品ではありませんが、商用であるかどうかにかかわらず市場に甚大な影響を与えてきました。 Linux 共同体全体とその未来に迷惑をかけて自分が裕福になるという破壊的な目標を目指すかわりに、Linux の未来に集中するときがきました。Debian を開発し配布しても、この宣言で概略を述べた問題への回答とはならないかもしれません。ですが、少なくとも、これらの問題が解決すべき問題として認められるくらいには Debian を通して注意を引きたいと望んでいます。 ------------------------------------------------------------------------------- Debian 小史 Debian Documentation Team 2.19 (最終改訂 2013 年 5 月 4 日)